ケインズ経済学批判3

1997  福永

 ケインズの乗数理論は資本主義経済にとって本当に正しいのだろうか? これまで見てきたように、理論の中には資本の大きさは直接的には出てこない。それは原価消却費に比例する量であり、また営業利益に比例しているという事実を認める限りで間接的に理論式の中に出てくるにすぎない。減価償却費にしてもケインズのいうような固定的減価償却費の存在は否定され、通常の減価償却費は商品の価格に転化されているのであるから、ケインズ乗数の理論には営業利益を媒介としてしか資本は顔を現すことはない。
 総所得の中の一部(δY)が資本に追加されることと年間総賃金の増加 Σ(W-W0)と資本増加の関係式は次のように書ける。

Σ(G-G0)=δY・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1-1)

Σ(W-W0)=χ*Σ(G-G0)・・・・・・・・・・・・(1-2)

χ=(η/ρ)*(ΣW0/ΣG0)  

 上場製造業等(1997年の1600社あまり)についての年間総賃金の変化率の総資産の増加率に対する比、即ちη/ρは次の図に示すようなものである。
 図の分布の勾配がη/ρである。資本 G に相当するのが総資産であるのか資本金であるのかは議論のあるところであろうが、多分実際の資本は総資産に近いものであろうと考えられる。この場合のη/ρとしては、図の左側の勾配 0.858 がそれである。上場企業に限って見れば、χ=0.058 と言う値が求まる。
 
 (1)式の G はその年度末での資本量であり、 W はその年度中に支払われた年間総賃金である。 G0 と W0 は年度当初の資本と昨年度並に支払われると推定される賃金総額である。 G0 と W0の結合による企業内での生産活動の結果として、W と π(=αG) が生み出されるとする関係を導くことができる。それは次のような式である。
 

ΣW=(1+δ'χ)ΣW0+(αδ'χ)ΣG0・・・・・・(2-1)

ΣG=(   δ')ΣW0+(1+αδ')ΣG0・・・・・・(2-2)

δ'=δ/[1-δ(α+χ)]

 この関係は個々の企業にとっても、また全体にとっても同じであり、同じ関係式が得られる。この出力側の G は全ての製品が販売されてしまった後の資本と見る必要はない。
 ところで社会全体の総所得 Y は昨年度の総所得 Y0 に対して次のように書ける。
Y={1+(α+χ)δ'}Y0・・・・・・・・・・・・・・・・(3)
 従って、
ΔY=Y-Y0=(α+χ)Σ(G-G0)=(α+χ)ΣΔG・・・・・・(4)
 αとχはともに1より小さく、しかもこの乗数は国民の貯蓄率δに無関係である。
 ケインズは(1−1)式を微分して彼の乗数理論を作り出したが、(1−1)式の左辺は資本の年間増加量であり、右辺は年間の総所得に比例する量である。これらそれぞれを時間について微分すれば、左辺は資本増加量の変化量、即ち資本の二次微分であり、右辺の微分は総所得の変化量に比例する。

Σ[(G2-G1)-(G1-G0)]=δ'(Y1-Y0)

従って、(1−1)式の微分から求めた式を資本の増加量に対する所得の増加量の関係式であると解釈するのは正しくない。ケインズの乗数理論に現れる資本の変化量なるものは、通常の意味では資本の年間増加量の変化量でなければならない。別の言い方をすれば、昨年の資本増加を上回る資本増加分と言うことになろう。

 実際に年度当初から∂G の資金が追加の資本として投下された場合には、総所得の増加分(ΔY)と総資本の増加分(ΔG)は次のように計算される。

ΔY=α{1+δ'(α+χ)}∂G・・・・・・・・・・・・(5-1)

ΣΔG=(1+αδ')∂G・・・・・・・・・・・・・・・・(5-2)

 この場合の国民総所得の伸びは僅か(〜α∂G) であり、大部分は資本の蓄積に回ってしまう事になる。その新たな投資は直接的には総所得 (Y) の計算には出てこない。ここで問題としている社会はそれ自体で完結した閉鎖社会であり、新たな資金の導入は誰かの所得でなければならない。従って初期条件の中に社会全体での総所得の特別増加はあり得ないことになっているからである。他方で∂C=∂G の資金が消費財の購入に当てられた場合には、総所得はそれだけ増加する。それだけの所得をのばすためには、(4)式から明らかなように、普通なら ∂C/(α+χ) の資本を必要とするのである。
 続く